英語圏に住めば話せるようになるという勘違い

私は日本のある英会話スクールから派遣されて、その学校のニューヨーク校で5年間、教務担当と講師をしていました。生徒さんの大半は駐在員と駐在員の奥さんたち、あと社会人留学生(大半は女性)でした。

あるときサンプルレッスンを受けに来校した一人の駐在員の方が「1年たったらぺらぺらになるって聞いてたけど、1年たったのにぜんぜん駄目です」とおっしゃったので、驚いたことがあります。もちろん「1年たってもぺらぺら」でないことに驚いたのではなくて、「1年たったらぺらぺら」という神話がまだ生きていることに驚いたんです。

英語圏でただ生活しているだけで英語の実力が自然に伸びる、ということはありません。 意識的に学習しない限り、ただ住んでいるだけで「自然に」身につくのは、 日常の簡単な用を足すためのサバイバル英語くらいです。サバイバル英語なら日本で数週間もやれば誰でも学べます。

英語圏に暮らしていて、正しい努力をする人はちゃんと伸びますし、努力しない人は伸びません。私が教えていた英会話スクールでも、新しく覚えたイディオムを使って自分の文章を作ってくる宿題とか、ミニ・スピーチを書いてくる課題とか、きちんとやっている人とそうでない人の差はジワジワと現れてきました。

人気映画の原作のペーパーバックを持ち歩いて暇さえあれば読んでいる人、自宅のトイレにまで例文のリストをコピーして貼って覚えている人、業務に必要がなくてもしっかり英語のニュースや新聞を読み、関連ニュースをテレビでも観る、そういうマメな努力をする人は着実に伸びていきます。

ちなみに「海外駐在員」といっても英語のレベルは業界や業務内容によってまちまちです。私の知り得た範囲では、残念ながら仕事を離れたプライベートな時間に、アメリカ人の同僚達と付き合う人は極めて稀なようでした。

ウィークデーは駐在員は基本的に残業をしていて、そのあと一杯やりにいくとしたら(ニューヨーク市やシリコンバレーのように日本人の多い地域では)日系のお店に日本人同僚と行きます。週末も日本人同僚との付き合いや家族のケアで忙しい。これに加え、やはり言葉の問題が決定的な理由のようです。

駐在員の奥様たち(「駐妻(ちゅうつま)」などと言ったりもします。ちなみに当時は女性の駐在員というのは皆無でした。)も、趣味やお子さんの学校友達などを通して積極的にアメリカ人との付き合いをひろげ、英語も上達して行く人もいますが、どうしても駐妻仲間とつきあいがち。ご主人の任期が終わる3年後、または5年後になっても、ほとんど英語の進歩を実感できず、「日本に帰って英語ができないことがバレたら恥ずかしい」というので、帰国の半年前くらいにあわてて英語を習いにくる人も多かったです。

話はちょっとそれますが、英語ネイティブと結婚している人の英語も実にいろいろです。

特に女性の場合、言葉が出てこなくて困るという人はまずいません。(女性の才能ですかね)。でも、しっかり学校英語の基礎を習得したかどうかがものすごくあらわに見えます。

基礎がしっかりした人は、きちんとした文章でなめらかに、つまりネイティブとさほど変わりなく話す人が多いのに対し、基礎が弱い人は奇妙なぶつ切りの文や、はちゃめちゃのブロークン英語が多いです。でも、そういう人でも日本で英語を学んでいたらまず知らないような、ぴりっとした表現はたくさん使えるし、普通ちょっと知る機会のない物の名前なども知ってます。

おもしろい(?)のは男性で、アメリカ人女性と結婚していても英語があまりうまくならない人がよくいます。モタモタと言葉が出てこなかったり、語彙や表現もあんまし増えない。この差っていったいなんなんでしょうか。

あと、アメリカに長く住んでいる日本人全体を見ると、(ネイティブの配偶者や恋人とか、いようがいまいが)発音も全般に女性のほうがいいみたいです。日本でもそうなのかなあ・・・。

話を戻すと、、、

英語学習のみに絞っていえば、英語圏にいてメリットがあるのは、話す相手がすぐに見つかることくらいで、英語学習の他の要素、つまりリーディングとライティング、そしてリスニングの訓練は英語圏にいなくてもまったく問題なくできます。

帰国直前にあわてて英会話スクールの門をたたく駐妻の方々にしても、中学英語の基礎の復習からやって、日本語を介入させずに文のパーツ(チャンク)をつなぎあわせて、そこそこに自己表現できるまでの段階は、日本にいてもやれることばかりです。

またリスニングも日本で一人でじっくりやったほうが、英語圏で自分の周囲を飛びかっている実際の英語を聴きながら訓練するよりよほど効率もいいし、効果も着実に出せます。

たとえば、いくら英語圏に何年いても、相当の努力なしではネイティブ同士のリラックスした会話や早口の会話、つまり音声変化だらけ学校じゃ習わない口語表現だらけの会話が聞き取れるようにはなりません。つまり、映画やテレビドラマが聞き取れるようにはならない、ということです。

なぜなら、英語圏の生活でネイティブと会話するときは「大意把握の多聴」と同じ聞き方をしているからです。 大ざっぱな趣旨と、大切そうなポイントを把握しようとする聞き方になるのです。生活していくには、どうしてもこうなります。

そして、細かな部分で聞きとれないところがある場合、それが大切な部分だろうがなかろうが、何度も何度も相手に繰り返してもらうわけにはいきません。というか、何度も聞きなおすと 違う言葉や表現で言い直されます。だから、いくらネイティブと一日何時間話したとしても、聴きとれないタイプの音は いつまでも聞き取れないままです。そういう音を聴き取れるようになるには精聴訓練 を自分でするしかないのです。

私が教務主任をしていた英語学校の生徒さんで、ものすごく耳のいい人がいました。発音もかなりきれいでした。なぜそんなに耳がいいのか、と半ば好奇心にかられていろいろと聞いてみると、彼女、70年代のアメリカのポップスが好きで、学生のときに歌詞カードを見ながら数百曲は覚えたそうです。文字通りに聞こえない音声変化の部分は、もちろん音をそのまま覚えこみました。歌詞カードというやつ、結構間違いがあったりするのでタイヘンなこともあったようです。

今だと、ネットに歌詞のサイトもいろいろあるし、洋画や海外ドラマのDVDやストリーミングを使って、同じような勉強がもっと手軽にできますね。本当に、やるかやらないかの違いだけだと思います。

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